大阪府内最大の『ため池』災害は、死者・行方不明51名、鳥取池の決壊(阪南市/旧東鳥取村)です!
『水難者慰霊之碑』にて、手を合わせる。
この碑の書は、赤間文三 当時の大阪府知事。
大阪府内で最大のため池災害、昭和27年7月水害の鳥取池決壊。
死者・行方不明者51名。
淡路島まで流された遺体もあった。
忘れてはならない。
先人に学び、先の災害に学び、教訓を今にしっかりと活かすことが、無念になか亡くなられた方々への唯一の供養であると考える。
大阪府内最大のため池災害は、阪南市(旧東鳥取村)鳥取池(現鳥取ダム)決壊(昭和27年7月水害)で、死者および行方不明51名。
東鳥取村村長 庄司政治郎
「今回の災害を体験して実感したことを将来の参考のために申し上げる。(1)今回の災害は人力で防ぎ得なかった。したがって将来ため池をつくる際にはこのような災害がおこることを予想して設計すること。(3)今回の災害による犠牲者が意外に多かった。これにかんがみて、充分なあらかじめの用意と、無駄と思っても安全な・・・。(4)井堰構築に際しては、コンクリートを高くしたためほとんど河床より堤防を決潰して周囲の田畑を流出させた。したがって将来は両詰より中央は土俵を二つ積むぐらいの程度低く構築することが望ましい。また鉄筋コンクリートの橋は将来は橋桁のない吊橋的なものにしたい。・・・
(『東鳥取村誌』)
昭和27年7月11日午前零時、数日来の豪雨により東鳥取村の鳥取池が決壊し同村と尾崎町一帯を水害にさらし多数の犠牲者と多大の損害をもたらした。鳥取池は和歌山県直川村井関峠を源とし尾崎町の東で大阪湾に注ぐ長さ約10キロメートルの男里川の上流をせきとめてつくられたため池である。昭和19年着工し昭和23年に完成したもの。
阪南町史 863頁~868頁から随意抜粋
« 先人に学び、先の災害に学び、教訓を今にしっかりと活かす‼️ | トップページ | 東京ドーム2杯分の土砂(外部搬入土砂として大阪府内最大)が、我々の頭の上に盛土! »
« 先人に学び、先の災害に学び、教訓を今にしっかりと活かす‼️ | トップページ | 東京ドーム2杯分の土砂(外部搬入土砂として大阪府内最大)が、我々の頭の上に盛土! »
コメント